大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)826号 判決

控訴人

医療法人社団愛友会

(旧名称・医療法人社団米寿会上尾中央総合病院)

右代表者理事

中村秀夫

控訴人

宮里安信

右両名訴訟代理人

饗庭忠男

小堺堅吾

被控訴人

土井昭志

土井久美子

土井麻記子

右法定代理人親権者父

土井昭志

同母

土井久美子

右三名訴訟代理人

江藤鉄兵

紙子達子

藤森克美

椎名麻紗枝

右江藤訴訟復代理人

佐藤久

清水光康

沢口嘉代子

右紙子訴訟復代理人

桑原宣義

保田行雄

主文

原判決中控訴人らの敗訴部分を取り消す。

被控訴人らの各請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事   実〈省略〉

理由

第一当事者及び医療契約の締結等

被控訴人麻記子が同昭志及び同久美子間の長女であること、控訴人宮里が控訴人病院の産婦人科に勤務する医師であること、被控訴人久美子が、昭和四五年八月妊娠し(出産予定日は昭和四六年五月九日)、同四六年二月一二日破水状態となつて控訴人病院産婦人科に入院し、同月一九日控訴人宮里のもとで被控訴人麻記子を出産したこと、同被控訴人は、在胎週数二九週、出生時の体重が一三五〇グラムの未熟児であつたこと、右出産当日被控訴人昭志、同久美子と控訴人病院との間に、同病院が未熟児である被控訴人麻記子を保育・医療することを目的とする準委任(医療)契約が締結され、同病院が控訴人宮里を履行補助者として右契約に基づく債務の履行にあたらせたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

また、〈証拠〉によれば、控訴人病院は、昭和四六年二月当時既に総合病院としての実質をほぼ備えていたが、同年五月一八日に総合病院としての申請をし、同年七月五日その承認を受けた事実が認められ〈る〉。

第二事故の発生

一被控訴人麻記子は、前判示のとおり在胎週数二九週、出生時の体重が一三五〇グラムの未熟児であり、控訴人宮里の指示で出生した日から控訴人病院内のアトムV55型保育器に収容され、体重が二〇〇〇グラムを超えた同年五月一四日までの八五日間右保育器内で看護を受け、同月二六日体重二七五〇グラムで退院したが、その後本症に罹患したことが判明し、両眼を失明するに至つたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二そして、被控訴人麻記子の保育経過が次のとおりであつたことも当事者間に争いがない。すなわち、

被控訴人麻記子は出生直後から未熟性強度(いわゆる極小未熟児にあたる。)で、全身のチアノーゼと肺不全、心不全が認められ、頻回の無呼吸発作を繰り返すため酸素と強心剤の投与が必要であつたので、控訴人宮里は次のように酸素と強心剤の投与を行つた。

1  酸素流量

生後五日目まで毎分三リットルの割合(酸素濃度三七〜三九パーセント)

生後六日目から一二日目まで毎分二リットルの割合(同三二〜三四パーセント)

生後一三日目から六七日目まで毎分一リットルの割合(同二六〜二八パーセント)

生後六八日目以後はチアノーゼが出たり、特発性の呼吸がある場合だけ毎分一リットル流して酸素を切るようにし、生後八三日目で酸素投与を打切り、その二日後に保育器より出した。

なお、酸素を八三日もの長期にわたつて使用したのは、その間度々チアノーゼと異常呼吸発作を繰り返したためである。

2  強心剤(一日あたり)

生後八日目までビタカン〇・二cc×八回

生後九日目から一二日目までビタカン〇・二cc×四回

生後一三日目から三〇日目までビタカン〇・二cc×二回

その間、控訴人宮里は、被控訴人麻記子が無呼吸発作を起こす度に人工呼吸で蘇生に成功した。生後五日目から経鼻腔チューブにより栄養補給を始めたが、全身状態不良と強度の未熟性のために体重減少は生後三〇日目まで続き、ついに一〇〇〇グラムを下回る九四五グラムまで減少したが、看護婦の日夜の努力もあつて生後三三日目より徐々に体重も増加し始め、生後五二日目に生下時体重に復した。その間、徐々に全身状態も改善されつつあつたが、呼吸異常とチアノーゼは依然として断続し、生後八三日目にこれらがみられなくなつたので、酸素投与を打切つた。以後呼吸異常もなくチアノーゼもみられず、体重も次第に増加し、生後九六日目に体重二七三〇グラムで退院した。

第三医師の一般的注意義務及び医療水準

一医師は、人の生命及び身体の健康管理を目的とする医療行為に従事する者であるから、患者を診察するに際しては、その当時における一般的医療水準にある専門的医学知識に基づいて、患者の生命及び身体の健康に対する危険防止のため、患者の病状を十分に把握して最善の治療を尽くすべき注意義務を負つているというべきであつて、これを怠り、患者の生命もしくは身体を害する結果を生じさせたときは、過失があるものとして右結果について責任を負わなければならないものである。一方、医師のした医療行為が当時における一般的医療水準に照らして相当と認められる限りは、当該医師に義務違反はなく責任を負うことはないというべきである。

また、仮に医師が、一般的医療水準にある医療行為について、それが自己の専門外に属し、自らは実施できないものであるか、又は自己の有する臨床経験ないし自己の持つ医療設備によつては患者にこれを施すことができない場合には、患者あるいはその家族にその旨を説明し、右医療行為を実施することが可能な医師を紹介し、若しくは患者を転医させて患者に右医療行為を受ける機会を与える義務があるというべきであつて、右義務を怠つたことにより、右医療行為が実施されていたとすれば回避することのできた結果が患者の生命又は身体に生じたときは、医師は当該結果について責任を負わなければならない。

二ところで、一般的医療水準とは、当該医療行為がなされた時期において、当該医師の専門分野、当該医師が置かれた社会的、地理的環境等を考慮して具体的に判断されるべきであると解すべきところ、それは、当該医療行為に係る医学理論のうち、臨床医学において種々の医学的実験、追試を経た後、その効果と安全性が確認されたものに基づく、いわば臨床医学の実践における医療水準を意味するものであつて、一部の研究者が研究の成果として新たに発表した知識で、未だ臨床医学においてその効果と安全性が確認されず、確実な理論として臨床医学の実践に定着するまでに至つていないものは、これに該当しないものと解される。したがつて、医師が右のような新知識に従つた医療行為を患者に施さず、あるいは右のような新知識による医療行為を受けさせるべく、説明の上転医させることをしなかつたからといつて、これを当該医師の過失ということはできない。

第四本症について

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実を認めることができ〈る〉。

一本症の概要

本症は、生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の極小未熟児に多く発生するもので、網膜の未熟性を素因として網膜新生血管の異常増殖のため網膜剥離を起こし、失明ないし強度の視力障害に至る疾患である。しかしながら、本症が発症しても途中で進行が止まり、自然治癒する場合が多く、自然治癒率は八〇ないし八五パーセントとされている。

二本症研究の歴史〈省略〉

三本症の原因、機序

胎児の網膜血管は、通常の場合、網膜上において在胎八か月で鼻側周辺まで、在胎一〇か月で耳側周辺までそれぞれ達するが、未熟児で出産した場合には、網膜血管の発達が未熟のため網膜上に無血管帯が存在し、また、網膜血管中の血液内の高濃度血中酸素が未熟な右血管を収縮、閉塞させ、その周辺部に虚血状態が起こり、低酸素状態となることから、酸素不足を補うため閉塞した網膜血管のすぐ横付近から新生血管が網膜上の無血管帯に異常増殖し、その新生血管により網膜の牽引剥離に至るものと考えられている。

未熟児の網膜に低酸素状態が起こるのは、網膜血管の発達の未熟性と共に網膜血管内血液の高濃度血中酸素によるものであつて、その誘因として未熟児に対する酸素投与が挙げられているが、酸素投与を全く受けていない未熟児にも、虚血状態から本症の発症をみる例があることから、酸素以外の因子のあることが指摘されており、また、新生血管の牽引による網膜剥離に至る機序についても未解明の点が残されている。

以上のとおりであつて、本症発症の機序については今日においても未だ全容が解明されてはおらず、その原因のすべてが明らかになつているわけではないが、児の未熟性、すなわち網膜血管の未熟性と共に、網膜血管中の血液内の高濃度血中酸素が原因の一つであり、未熟児に対する酸素の投与がその誘因となることについては多数の学者、研究者の間にほぼ異論をみない。そのため、我が国においても、本症発生予防のため酸素投与の管理を行い、適期に眼底検査を行うべき必要性が昭和三九年ころから植村恭夫医師らにより提唱されていた。

一方、未熟児、特に極小未熟児は、発育未熟のため肺機能が未発達であつて、そのため呼吸障害に陥り、肺出血、頭蓋内出血等を起こして死亡したり、低酸素症のため脳障害を起こしたりする危険が大きく、これを防止ないし回避するためには酸素(場合によつては多量の)を投与することが絶対に必要である。

四本症の病態・臨床経過

1  本症の病態・臨床経過は、多様であり、従来欧米の学者が種々の分類を試み、我が国では、オーエンス(米国眼科医)が昭和三〇年ころまでに確立した分類―臨床経過を活動期(ⅠないしⅤ期)、回復期、瘢痕期(ⅠないしⅤ度)に分類する―が用いられることが多かつた。

2  厚生省特別研究補助金による昭和四九年度研究班による分類

右研究班は、昭和五〇年に「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」を報告した(以下「昭和四九年度研究班報告」という。)。

右報告は、従来用いられていたオーエンスの分類のように段階的な進行をたどる型のほかに昭和四五、四六年以降に発見された急激に進行して網膜剥離に至る型が存在すること、眼底検査法の進歩により従来の倒像、直像検査によるのではなく両眼立体倒像鏡やボンノスコープによる検査が可能となつたことからオーエンスの分類では本症に対応しえなくなり、また、本症に対する治療法として登場した後述の光凝固法や冷凍凝固法の適応、施行の時期及び方法を定めるうえで眼科医間に必ずしも見解の一致がみられないことから診断基準の統一が要請され、そのために本症の診断基準として統一的な基準の設定が試みられたものである。そして、右報告は、本症の活動期につき臨床経過、予後の点から次のとおりⅠ型とⅡ型に大別し、瘢痕期を1ないし4度に分類した。現在は後記3の一部改正を経て右分類が本症の診断と治療の基準として広く用いられている。

(一) 活動期の診断基準及び臨床経過の分類

(イ) Ⅰ型

主として耳側周辺に増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離へと段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のもの。

1期(血管新生期)

周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないか、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

2期(境界線形成期)

周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

3期(硝子体内滲出と増殖期)

硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも、血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。この3期を前期、中期、後期に分ける意見がある。

4期(網膜剥離期)

明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から全周剥離まで範囲にかかわらず明らかな牽引剥離はこの時期に含まれる。

なお、自然寛解は、Ⅰ型の場合、2期までで停止したときには、視力に影響を及ぼすような不可逆性変化を残すことはない。3期においても自然寛解は起こり、牽引乳頭に至らずに治癒するものがあるが、牽引乳頭、襞形成を残し、弱視となるもの、頻度は少ないが剥離を起こし失明に至るものがある。

(ロ) Ⅱ型

主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼に起こり、初発症状は、血管新生が後極に起こり、耳側のみならず鼻側にもみられることがあり、無血管帯領域は広くその領域は透光体混濁で隠されていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり滲出性変化も強く起こり、Ⅰ型のような段階的経過をとることも少なく比較的急速に網膜剥離へと進む。

(ハ) 混合型

極めて少数であるが、Ⅰ、Ⅱ型の混合型ともいえる型がある。

(二) 瘢痕期の診断基準と程度分類

1度 眼底後極部には著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網脈絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は正常のものが大部分である。

2度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は視力は良好であり、黄斑部に病変が及んでいる場合は種々の程度の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。

3度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとりこまれ、襞を形成し周辺に向かつて走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は〇・一以下で、弱視又は盲教育の対象となる。

4度 水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり、盲教育の対象となる。

3  厚生省特別研究補助金による昭和五七年度研究班による分類

右研究班は、「未熟児網膜症の分類(厚生省未熟児網膜症診断基準、昭和四九年度報告)の再検討について」と題する報告を行つた。右報告は、昭和四九年度研究班報告で示された右2の(一)記載の活動期の診断基準を再検討し、その一部を改正することとしたものであり、主たる改正点は次のとおりである。

(一) Ⅰ型について

(イ) 1期の名称を「網膜内血管新生期」と改称し、その説明を「周辺ことに耳側周辺部に発育が完成していない網膜血管先端部の分岐過多(異常分岐)、異常な怒張、蛇行、走行異常などが出現し、それより周辺部には明らかな無血管帯領域が存在する。後極部には変化が認められない。」と改める。

(ロ) 2期の説明末尾の「認める。」を「認めることがある。」と改める。

(ハ) 3期の説明に「この3期は、初期、中期、後期の三段階に分ける。初期はごく僅かな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に牽引性変化が加わつた場合とする。」を付加する。

(ニ) 4期の名称を「部分的網膜剥離期」と改称し、その説明を「3期の所見に加え部分的網膜剥離の出現を認めた場合。」と改める。

(ホ) 新たに次の5期を加える。

5期(全網膜剥離期)

網膜が全域にわたつて完全に剥離した場合。

(二) Ⅱ型について

Ⅱ型の説明を「主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、赤道部より後極側の領域で、全周にわたり未発達の血管先端領域に、異常吻合及び走行異常、出血などがみられ、それより周辺は広い無血管領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著明な蛇行、怒張を示す。以上の所見を認めた場合、Ⅱ型の診断は確定的となる。進行とともに網膜血管の蛇行、怒張はますます著明になり、出血、滲出性変化が強く起こり、Ⅰ型のような緩徐な段階的経過をとることなく急速に網膜剥離へと進む。」と改める。

(三) 混合型を廃止し、「極めて少数ではあるが、Ⅰ、Ⅱ型の中間型がある。」と改める。

(四) Ⅰ型では、1期の網膜内血管新生が、生理的な範疇に入るものか病的なものかの区別は、よほど本症に経験のある者でないとつきにくい。したがつて、発症率、自然治癒率を論ずる場合は、2期以降の症例について行うこととする。

五本症の治療法

本症に対する治療法としては、副腎皮質ホルモン剤の投与等による薬物療法が提唱されたことがあるが、その有効性はいずれも否定された。昭和四二年以降光凝固法及び冷凍凝固法が提唱され、これらにより本症の進行を止めうることが実例上認められるに至り、右療法が治療法として施行されるに至つた。これらは、周辺網膜の無血管帯付近の新生血管を凝固破壊しようとするものであり、従来成人の網膜剥離等の治療に用いられていたものを本症に対して応用したものである。しかしながら、昭和四五、四六年ころⅡ型(急激に進行する激症型)が発見されるに至り、昭和四〇年代後半に至つて数多く施行され成功例として報告された症例が自然治癒傾向の強いⅠ型であつて、そのまま放置しても自然治癒した可能性のある症例に光凝固法を施行したものにすぎないとの批判的意見が出され、また、光凝固法による人工瘢痕が施行を受けた患児の視力にどのような影響を与えるかを長期的に観察することを要するとの意見も強くなつた。こうして、光凝固法施行の行き過ぎの抑制並びにⅠ型とⅡ型に対する光(冷凍)凝固法の適応性、施行時期等の区別を明らかにする診療基準の確立が要請されるに至つた。そこで、昭和四九年度研究班報告は、前記本症の診断基準等の分類と同時に、「未熟児網膜症の治療は本疾患による視覚障害の発生を可及的に防止することを目的とするが、その治療には未解決の問題がなお多く残されており、現段階で決定的な治療法を示すことは極めて困難である。しかし進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固或いは冷凍凝固によつて治癒しうることが多くの研究者の経験から認められているので、未熟児網膜症研究班において検討した本症の臨床経過の分類基準にもとづき各病型別に現時点における治療の一応の基準を提出する。」として、次の趣旨の記述をしている。

1  治療の適応

Ⅰ型においては、その臨床経過が比較的緩徐であり発症より段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては、極小低出生体重児という全身条件に加えて本症が異常な速度で進行するために治療の適期判定や治療の施行そのものにも困難を伴うことが多い。したがつて、Ⅰ型においては、治療の不要な症例に行き過ぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては、失明を防ぐために治療時期を失わないよう適切迅速な対策が望まれる。

2  治療時期

Ⅰ型は自然治癒傾向が強く、2期までの病期中に治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までの病期のものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候がみられるときに初めて治療が問題となる。ただし、3期に入つたものでも、自然治癒する可能性は少なくないので、進行の徴候が明らかでないときは、治療に慎重であるべきである。

Ⅱ型は、血管新生期から突然網膜剥離を起こすことが多いので、Ⅰ型のように進行段階を確認しようとすると治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型は、極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件を備えた例では綿密な眼底検査を可及的早期より行うことが望ましい。無血管領域が広く全周に及ぶ症例で、血管新生と滲出性変化が起こり始め後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は、直ちに治療を行うべきである。

3  治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましい。全身状態不良の際は生命の安全が治療に優先するのは当然である。

Ⅰ型に対する光凝固法は、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、後極部付近は凝固すべきではない。無血管領域の広い場合には境界領域を凝固し、更にこれより周辺側の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

Ⅱ型に対する光凝固法は、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に十分な注意が必要である。

冷凍凝固法も凝固部位は光凝固法に準ずるが、一個あたりの凝固面積が大きいことを考慮して行う。

初回の治療後症状の軽快がみられない場合には治療を繰り返すこともありうる。また、全身状態によつては数回に分けて治療せざるをえないこともありうる。

混合型においては治療の適応、時期、方法をⅡ型に準じて行うことが多い。

4  上記の治療基準は現時点における研究班員の平均的治療方針であるが、これらの治療方針が真に妥当なものであるか否かについては、更に今後の研究をまつて検討する必要がある。

六右治療方法に対する評価

光凝固法(以下この項において冷凍凝固法についても同じ)は、本症Ⅰ型に対しては自然治癒しない少数の進行性のものについて適期に、本症Ⅱ型のように急激に進行する激症型についてはできるだけ早期に施行すべきものとされているが、その治療機序については明確な解明は今日においても未だなされておらず、経験的に本症の進行を止めて治療せしめることが認められているにとどまる。また、Ⅱ型に対しては今日においても光凝固法を施行しても失明に至る症例が多数報告されている。その上、光凝固法は、片眼凝固等による対照実験がなされていないことや、前記のとおり昭和四〇年代後半に報告された光凝固法成功例の多くがⅠ型に対するものであつて、自然治癒によるものか否かの判定が不可能であるとして、その有効性には疑問があるとする批判的見解もあり、また、光凝固法の有効性は肯定するが、凝固部位に形成される人工瘢痕が将来患児の視力に何らかの障害的影響を与える可能性があり(もつとも、今日までのところ右影響を生じた具体例の報告はない。)、可及的にその施行を抑制すべきであるとし、Ⅰ型についてはそのほとんどが自然治癒するので光凝固法を施行すべき例は少なく、Ⅱ型については他に有効な治療法が開発されるまでの間、緊急避難的な治療としてその施行がなされるにとどまるであろう、として、光凝固法に対してさほどの評価を与えない有力な見解もある。

七本件事故当時(昭和四六年)における本症に関する一般的医療水準

1  本症は、酸素投与を受けた未熟児に発症することが臨床経験により明らかにされ、昭和四〇年代初めころまでには、本症の発症を予防するには、保育器内の酸素濃度を四〇パーセント以下に規制し、酸素投与の期間もできるだけ短縮すべきであること、酸素投与中の不適切な投与中止は危険であり、酸素投与を中止する際は濃度を徐々に減じて児を大気中に移すことなどが研究者、臨床医の間で一応の指針とされるに至り、右指針は本件当時にも一般の臨床医の間の共通の認識となつていた。もつとも、酸素濃度を四〇パーセント以下に抑制したり、全く酸素を投与しない未熟児にも本症の発症例があることから、研究者の中には本症は、未熟児の環境酸素濃度よりも網膜の動脈血酸素分圧(血中酸素濃度)と相関関係があることを指摘する者も少なくなかつた。そして、本症は眼底の未熟性を素因とするもので生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の未熟児に発症頻度が高く、最悪の場合には失明に至るが自然治癒傾向の強いことが報告されていた。以上の、酸素投与の方法に関する指針を含む知見は、本件当時において眼科医のみならず産科、小児科医でも未熟児を扱う臨床医間に一般に普及していた。

2  眼底検査

眼底検査は本症の発見、臨床経過の診断のための唯一の検査法であるが、昭和四〇年ころから本症を酸素投与の抑制により防止するため、本症の早期発見上最も発生頻度の高い生後三週間目から三か月目までは、週一回の定期的眼底検査の実施が必要であるとの報告がなされ、あるいは酸素投与中の児の網膜血管の所見等から投与量が適正か否かを判断できるとの見解も唱えられたが、その検査技術の困難性もあり、一部の先駆的な医療機関の眼科において実施されるにとどまり、未熟児を扱う一般の産科、小児科の臨床医においては右検査に関心を持ち、これを実施するまでには至らなかつた。また、専門的研究者らの間では、極小未熟児では一か月以上も中間透光体混濁が続き、眼底検査が十分に行いえないものがあること、動脈血酸素分圧値と網膜血管径との間に相関関係がみられず、高い分圧値になつても血管狭細が起こらないものもあり、逆に低い分圧値でも外見上血管狭細を示すものがあるなど、眼底検査による検眼鏡的所見は酸素投与量の適否の指標とはならないこともやがて明らかにされた。

ところが、昭和四三年に至り、天理よろづ相談所病院の眼科医永田誠らが光凝固法を本症に試み本症の進行を停止させたことを報告して以降、光凝固法施行の適期を判定するうえで眼底検査の必要が再認識されるに至り、後記3記載のとおり光凝固法が各地の医療機関で実施されるのと相前後して定期的眼底検査の重要性が認識されるようになつた。

もつとも、定期的眼底検査が一般医療機関に普及するためには、眼科的管理の人・物的設備の充実、産科あるいは小児科と眼科との連携体制の確立、眼底検査の意義に対する認識の向上、専門的眼科医の養成によつて技術的困難性・危険性の克服を図ることなどの問題が多々あり、全国的にみても、昭和四六年当時においては、大学附属病院においてさえほとんど定期的眼底検査は実施されていなかつた。これを控訴人病院の位置する埼玉県下についてみるに、埼玉県済生会川口総合病院及び社会保険埼玉中央病院においては、昭和四六年ころには、既に未熟児担当の主治医の依頼により眼科検査を行つていたが(もつとも、その具体的実施内容は明らかでない。)、埼玉国立病院では昭和四六年当時未熟児の眼底検査につき小児科と眼科との協力体制はできておらず、そのほか同県下の法人病院、市立病院、大学附属病院でも右当時定期的眼底検査は実施されていなかつた。また、同県下のいずれの病院についても、他病院からの依頼を受けて眼底検査を行うための協力体制は整つていなかつた。

3  本症の治療法としての光凝固法の施行

(一) 前記永田誠医師は、昭和四三年四月発行の「臨床眼科」二二巻四号において、「特発性呼吸障害症候群の未熟児二名にやむをえず行つた酸素供給を中止した後、次第に悪化する活動期未熟児網膜症を発見し、オーエンスⅡ期(網膜期)よりⅢ期(初期増殖期)に進行してゆくことを確認したうえで、昭和四二年三月網膜周辺部の血管新生の盛んな部分に対して全身麻酔下に光凝固を行い、頓挫的に病勢の中断されるのを経験した」として、その経過報告をし、同年一〇月発行の「眼科」一〇巻一〇号にも同様の報告を行つた。続いて、同四五年五月発行の「臨床眼科」二四巻五号において、光凝固法を施行した四症例の追加報告を行い、オーエンスⅢ期に入つてなお進行を止めないような重症例でも光凝固法により治癒せしめうることが明らかになつたとし、更に、同年一一月発行の「臨床眼科」二四巻一一号において、本症の病変等について解説し、光凝固法を施行した四症例について報告している。

また、昭和四七年三月発行の「臨床眼科」二六巻三号において、光凝固法の適期とその判定基準等について報告し、「今や本症発生の実態はほぼ明らかとなり、これに対する治療法も理論的には完成したということができるので、今後はこの知識をいかに普及し、いかに全国的規模で実行することができるかという点に主たる努力が傾けられるべきではないか。」と述べている。

なお、これらの研究については天理よろづ相談所病院の金成純子らが昭和四六年六月発行の「日本新生児学会雑誌」七巻二号に小児科医としての立場から、同様の報告を行つている。

(二) 以上の永田らの発表を受け、各地の先駆的医療機関の眼科で光凝固法の追試が行われ始め、昭和四六年以降関東周辺では、関東労災病院、東京厚生年金病院、東大病院、都立母子健康病院等(その数は合計一〇に満たない。)において光凝固法が施行され、その施行による成功例が眼科専門文献に報告され、産科、小児科の専門文献においても本症に対する最も有効な治療法として光凝固法が存在すること及び前提として本症を早期に発見するために定期的眼底検査を行うことが必要である旨が報告、紹介されるに至つた。もつとも、昭和四六年当時には光凝固法を施行することが可能な医療機関は限られており、埼玉県下では、控訴人病院はもちろん光凝固装置を備えた病院は存在しなかつた(国立東京第二病院でさえ右装置を購入したのは、昭和四九年である。)。

(三) また、光凝固法と原理をほぼ同じくする冷凍凝固法については、東北大学医学部眼科教室の山下由起子が昭和四七年三月発行の「臨床眼科」二六巻三号において、昭和四五年一月より東北大学周産母子部未熟児室で、生後まもなくから眼科的管理を行つてきた未熟児及び直接眼科外来を訪れた本症患者のうちオーエンスⅢ期に至り自然治癒が望めないと思われる重症例八例に冷凍凝固を行つたこと、凝固の結果いずれも瘢痕期1ないし2度で治癒しており、将来重篤な視力障害を残さないと思われること、施行の時期については、厳重な管理のもとでは、活動期Ⅲ期に入つてもできるだけ自然治癒をまつてから施行するのが妥当であることなどを報告した。

(四) しかしながら、昭和四九年度研究班報告の発表までは、その施行に不可欠な光凝固法の適応、治療期間、凝固部位等についての基準も統一されておらず、先駆的な各研究者が独自の判断で施行している状況であつた。右成功例として発表されたのも自然治癒傾向の強いⅠ型に対するものであり、一部の先駆的研究者によつて昭和四五、四六年ころ以降進行の急激な激症型(後日Ⅱ型と分類される型)の存在が確認され、この型に対する光凝固法の施行が発表されたのは昭和四九年に至つてからである。そして、前認定のとおり、昭和四九年度研究班報告によつて本症に対する診断基準としてⅠ型、Ⅱ型に大別分類され、両型に対して異なる光凝固法の適応、施行の時期及び方法に関する基準が一応提示されたのである。

したがつて、本件事故の発生した昭和四六年当時においては、光凝固法及び冷凍凝固法は、本症に対する治療法として、一般臨床医はもとより専門的医療機関ないし本症を専門に研究する医師の間においてさえも、有効な治療方法として普及、確立していたとはいえない状態であり、臨床医学の実践の場に定着し、一般的医療水準に達するに至つてはいなかつたものである。

なお、昭和五一年一一月発行の「日本眼科学会誌」八〇巻一一号で、前記永田誠は、本症の光凝固法による治療が、試行、追試、遠隔成績の検討、自然経過との比較、治療効果と副作用の確認、治療法としての確立とその教育普及という医療の常道を踏まなかつたことについての反省の弁を述べており、植村恭夫は、札幌地方裁判所における鑑定において、昭和五六年四月当時においても光凝固法、冷凍凝固法は実験的段階にあると判断している。

第五被控訴人麻記子の本症罹患と酸素投与との因果関係

先に第二及び第四の三に判示したところによれば、被控訴人麻記子の本症罹患と控訴人宮里が同被控訴人にした酸素投与との間には、他に特段の立証がない以上、相当因果関係を肯定するのが相当である。

第六控訴人らの責任

一控訴人らの置かれていた具体的状況

〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができ〈る〉。

1  控訴人病院は、その前身である上尾市立病院を、控訴人病院代表者である中村秀夫が昭和四〇年四月に買い受けて開設し、同四一年一月に医療法人社団米寿会上尾中央病院の名称で医療法人となつたものであるが(その後昭和四六年七月同会上尾中央総合病院に、同五八年に現在の名称となつた。)、開設当初、外科、内科、耳鼻科、眼科の四診療科目があり、ベッド数は一〇六床であつた。その後昭和四五年七月に産婦人科が増設され、控訴人宮里が初代の産婦人科部長に就任した。他方、眼科は、開設当初から置かれていたものの、一名しかいない医師がやめたりなどして空白の時期があり、被控訴人麻記子が出生した昭和四六年二月当時は眼科医はいなかつたが、同年三月に新たに眼科医が着任して診療が再開された。しかし、当時は、未熟児の定期的眼底検査のための眼科と産科との協力体制はできておらず、控訴人病院で眼底検査が行われるようになつたのは、昭和四七年半ばころからである。

2  控訴人宮里は、昭和三八年に福島県立医科大学を卒業し、昭和三九年四月に医師免許を取得した後、直ちに同大学の産婦人科教室に入局し、同時に福島日赤病院の産婦人科に勤務して、相当数の未熟児の保育を経験していた。同控訴人は、昭和五四年七月に控訴人病院に産婦人科が増設された際、招かれてその部長に就任したが、非常勤の医師が来るようになつた昭和四六年六月までは、産婦人科の医師は控訴人宮里ただ一人であつた。

なお、昭和四六年二月当時、産婦人科のベッド数は八床、保育器は一台であり、昭和四五年七月の増設時から同四六年二月まで五二名の新生児が出生し、また、被控訴人麻記子が保育器に収容されていた昭和四六年二月一九日から同年五月一四日までの間、生下時体重二五〇〇グラム以下の未熟児が四名生まれている。

二控訴人宮里の責任

1  酸素投与上の過失

〈証拠〉によれば、控訴人宮里は、本件当時、本症に関する医学文献等により、前記第四の七の1に認定した酸素投与上の一般的指針を知り、本症は未熟児に対して酸素を投与することにより発症することがあるが、酸素濃度を四〇パーセント以下に抑制し、酸素投与を打切るときには徐々に濃度を下げる方法をとり、できるかぎり投与を短期間とすることによつて、本症の発症を予防しうるものと認識しており、被控訴人麻記子に対しても前記第二の二判示のとおりの量の酸素投与にとどめていたので、同女の保育にあたつていた期間中、本症の発生について特に危惧の念を抱かず、したがつてまた、同被控訴人に関して本症について眼底検査、光凝固法、冷凍凝固法(なお、同控訴人は、そもそも本件当時には、本症との関係でこれら眼底検査等について実際の経験がなかつたことはもちろん、具体的ないし明確な知識をも有していなかつた。)等の措置をとらなかつたこと、以上の事実を認めることができ、右認定を左右すべき証拠はない。

ところで、前認定のとおり、本件事故発生当時ころには、酸素濃度を四〇パーセント以下に抑制しても本症の発症がみられること、ことに極小未熟児には本症の発生率が高いことなどの知識が一般臨床医の間にも普及していたことにかんがみれば、産科医であるとはいえ、新生児の保育、医療に従事する臨床医である控訴人宮里としては被控訴人麻記子が酸素投与により本症に罹患する危険性のあることを予見すべきであつたというべきである。

しかしながら、未熟児に対する酸素投与は、投与不足による死亡ないし脳障害の発症という重篤な結果と過剰投与による本症の発症という二律背反の要請の中で実施されるものであり、本件当時示されていた前記認定の酸素投与の一般的指針は、右要請の中で研究者、臨床医の間で広く提唱され、実施されていたものであるが、それとて絶対的かつ完全なものではなく、個々の具体的症例によつて対応が異ならざるをえないことは、推認するに難くない。

かかる状況下において、未熟児保育の責を負う医師としては、酸素投与についても、患児の生命の維持を第一義としつつ、可及的に網膜障害を発生せしめないよう、その時点における医療水準に即した知識、経験に基づく万全の注意を集中して事にあたるべきは当然であるが、医師が実際の酸素投与にあたつて従つた指針に当時の医療水準に照らして一応の合理性が認められるかぎり、当該処置は、医師の裁量の範囲内に属するものというべきであるし、また、現実に酸素投与にあたる場合、当該患児の呼吸障害等の症状、成熟度をはじめとする個体差、合併症との関係等の要因に応じて、医師が右指針に合理的判断に基づく変容を加えることのあることは、医療行為の性質上当然であるというべきである。〈証拠〉によれば、控訴人宮里は、前記第二の二に判示した状況からして被控訴人麻記子には酸素投与が必要不可欠であると判断したこと、その上で同人は、前記指針(当裁判所は、上記指針には合理性が存したものと認める。)を念頭におきつつ、被控訴人麻記子の呼吸状態、全身状態等の総合所見から、酸素投与の方法、投与量を適宜決定したことが認められ、投与期間の点を含め、右の判断、処置に合理性を欠く点の存することを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、同控訴人の酸素投与の措置に過失を認めることはできない。

2  全身管理上の過失

被控訴人らは控訴人宮里が被控訴人麻記子の全身管理を怠つた旨主張する。

〈証拠〉によれば、被控訴人麻記子は生後暫くの間三五度台の低体温が続いたが、未熟児保育において保育器内の温度をどの程度に維持するのかが適当であるかについては、当時定説が存在しておらず、低体温傾向のある極小未熟児については器内温度を三〇ないし三四度程度に保ち、体温を三四度以下にしないことが一応の基準とされていたこと、控訴人宮里は、器内温度を三三度前後に保つように看護婦に指示し、右のように被控訴人麻記子の体温を少なくともほぼ三五度台に保持したこと、同控訴人は、前判示のとおり生後五日目から栄養補給を開始しているが、被控訴人麻記子のような生下時体重一三五〇グラムの極小未熟児にこの程度のいわゆる飢餓期間を置くことは、児の負担と容態の急変を避け、呼吸の確立、生命の維持のため必要な措置として、当時の医療水準を逸脱するものではないこと、以上のとおり認められ〈る〉。

また、〈証拠〉によれば、控訴人宮里は、被控訴人らが請求原因四(二)2(4)で主張するとおり被控訴人麻記子を他の新生児一名又は二名と同時に合計二七日と三〇時間にわたつて同一保育器に収容したこと、しかしながら、同控訴人は、保育器内の酸素濃度等の条件は最も状態の悪かつた被控訴人麻記子に合わせて設定したこと、控訴人病院が保有する保育器が本件事故発生当時一台であつたことは、前認定のとおりであるが、右当時、同病院程度の規模の病院において、保育器が一台しかないことは決して異例とはいえなかつたこと、新生児の保育器への同時収容は決して望ましいことではないが、現実の必要から緊急やむをえないものとして、一般臨床医の間では是認されていることが認められ〈る〉。

以上の次第であつて、保温措置、栄養補給、同時収容のいずれについても、宮里に非難されるべきかどはなかつたものと認められ、そのほかにも同控訴人に被控訴人麻記子の全身管理について過失があつたことを認めるに足りる証拠はない。

3  眼底検査実施義務違反の過失

被控訴人らは、被控訴人麻記子の本症の発生を予知し、進行を監視し、同女に適期に適切な治療を受けさせるために控訴人宮里において自ら又は眼科医の協力を得て被控訴人麻記子の眼底を検査すべき義務があつたと主張する。

控訴人宮里が被控訴人麻記子を保育中、眼底検査について措置をとらなかつたことは1で認定したとおりである。しかしながら、眼科医でない同控訴人自身に、技術的困難性の高いこと前認定のとおりである右検査の実施を期待できないことは明らかというべきであり、また、先に第四の七の2で認定したように、本件当時は、未だ控訴人病院自体を含め近隣地の病院においても、産科医あるいは小児科医が自院又は他院の眼科医と提携して未熟児の眼底検査を実施しうる診療体制は整つていなかつたのであるから、本件当時控訴人宮里に自院又は他院の眼科医の協力を得て未熟児の眼底検査を実施することを求めることは難きを強いるものというべきである。

のみならず、眼底検査による検眼鏡的所見が酸素投与量の適否の指標とならないことは、先に第四の七の2で判示したとおりであり、眼底検査は、結局、臨床的には、本症に対する治療法とされる光凝固法の施行の必要性及びその適期を決定するために行われるべきものであつて、それ自体は何らの治療効果もないわけであるから、光凝固法が本症に対する有効な治療法として確立されて初めて眼底検査実施義務の存否及びその履践の有無が問題とされるべき筋合いであるというべきところ、前記説示のとおり、本件当時、光凝固法は未だ有効な治療法として確立されていたものとは到底いうことができず、したがつて、控訴人宮里が被控訴人麻記子の本症発症を予見すべきであつたとしても、同控訴人に対し本件当時被控訴人ら主張のような眼底検査実施義務を課することはできないものといわざるをえない。

よつて、被控訴人らの右主張は採用することができない。

4  光凝固法実施義務違反の過失

被控訴人らは、控訴人宮里には眼科医の協力を求めて光凝固法を実施すべき注意義務を怠つた過失がある旨主張し、同控訴人が被控訴人麻記子に光凝固法を実施しなかつたことは前認定のとおりであるが、先に認定したとおり、光凝固法は、昭和四六年当時においては、本症に対する治療法として臨床医学の実践の場において確立、定着をみ、既に一般的医療水準の域に達していたとはいえないから、同控訴人にこのような一般的医療水準にない光凝固法を施行すべき注意義務を認めることはできず、被控訴人らの右主張も採用することができない。

5  眼底検査及び光凝固法施行のために転医させる義務と右施行について説明・指導をする義務の各違反による過失

被控訴人らは、本症の早期発見と治療のため被控訴人麻記子を眼底検査及び光凝固法(以下この項において冷凍凝固法についても同じ)の実施可能な医療機関に転医させる義務及び医師法二三条、保険医療機関及び保険医療養担当規則一一条、一三条を根拠に、被控訴人昭志又は同久美子に眼底検査及び光凝固法について説明・指導すべき義務が控訴人宮里にあつたと主張する。

そして、〈証拠〉によれば、控訴人宮里は被控訴人麻記子につき本症に関し右転医、説明・指導の措置を何らとらなかつたことが認められる。

ところで、医師が医療行為を行う過程で、自己の専門分野以外の領域に属する疾患が患者に発症することを予見することができた場合、それが可能であるならば自らその疾患に関する専門医に転医させる措置をとり、右措置が自らの手でとれない場合であれば、患者又はその家族に対し説明・指導をして患者に専門医による診断、治療を受ける機会を与え、もつて当該疾患の発症、悪化を防止すべき義務があることは明らかである。しかしながら、右転医及び説明・指導の義務は、いずれも予見される疾患の発症、悪化を防止するという結果回避のための義務であるから、その疾患に対する治療法が当該専門分野において有効な治療法として既に確立、定着をみていることが右両義務発生の前提要件となるものというべきである。

被控訴人らは、これに反して、右のような転医、説明・指導の義務については、当該専門分野においてその治療法が有効なものとして確立され、一般の眼科医の間に広く普及している必要はなく、先駆的研究者により有効であると報告されつつある治療法が存在し、それが一般臨床医は別として各地の国公立大学附属病院その他代表的な総合病院など、限られた専門医療機関の眼科で実施されるに至つていれば足り、このような場合、一般臨床医は患者に右先駆的医療機関の医師による治療を受ける機会を与えるべきであるという趣旨の主張をする。

しかしながら、今日の高度化し、専門化した医学・医療においては、次々と新しい治療が開発、実施される中で、後日に至つてその有効性が否定されるとか、場合によつては患者に悪影響を与えることが発見されることもありうるのであるから、新治療法の提唱からその研究、追試、検討を経て、右治療法が、当該専門分野において一般の臨床医がとるべき治療法として確立、定着をみるまでには至らないまでも、少なくとも当該専門医療機関の医師ないし専門的研究に従事する医師の間において診断・治療基準の客観化が実現するまでは(当裁判所が、本件当時光凝固法は未だこの段階に達していなかつたと判断するものであることは、前記のとおりである。)、当該治療に関与する専門分野の臨床医にとつても新しい治療法を施行すべき法律上の義務は当然には生じないものと解すべきであり、ましてや当該治療法に関し専門外の臨床医(控訴人宮里が眼底検査及び光凝固法について専門外であつたことは、先に判示したところから明らかである。)において新治療法を受けさせるための転医措置又は説明・指導を行わなかつたからといつて、法律上非難されるべき義務違反があるとまでいうことは到底できない。

そして、本件事故の発生した昭和四六年当時においては、本症に対する光凝固法による治療は、未だ有効な治療法として確立されたものではなく、専門的医療機関の医師ないし専門的研究に従事する医師の間においてさえ診断・治療基準について客観化が実現されていたとはいえないことは、上来説示したところから明らかであるから、被控訴人らが主張するような光凝固法による本症の治療を前提とする転医、説明・指導の義務が専門外の産科医にすぎない控訴人宮里にあつたものとすることは到底できないものというべきである。

よつて、被控訴人らの前記主張もまた採用することができない。

6  まとめ

以上説示したところによれば、本件事故当時の医療水準に照らし、控訴人宮里には、被控訴人ら主張の過失はなかつたものと認めるべきであり、右過失の存在を前提とする被控訴人ら主張の控訴人宮里の民法七〇九条による不法行為責任は、これを認めることができない。

三控訴人病院の責任

1  右に述べたように、控訴人宮里に過失がなかつたと認められる以上、右過失を前提として、被控訴人らが請求原因五の(一)で主張する控訴人病院の債務不履行責任、民法七一五条、同法七〇九条による不法行為責任は、いずれもこれを肯認することのできないことは明らかである。

2  また、被控訴人らは、請求原因五の(二)で控訴人病院の医療体制の不備、怠慢を非難し、同病院の債務不履行責任又は民法七〇九条による不法行為責任を主張するが、上来るる説示してきたところから明らかな、本件事故発生当時の同病院の置かれていた地域的な条件、眼底検査の普及度、産科、小児科と眼科との間及び他病院との間の連携体制の重要性についての当時の医療機関の一般的認識及び実態、光凝固法及び冷凍凝固法の本症に対する治療法としての確立、定着の程度等をあわせ考えれば、右主張もまたこれを採用するに由ないものというべきである。

第七結 論

以上によれば、被控訴人らの控訴人らに対する本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも失当としてこれを棄却すべきであり、原判決中右と異なり被控訴人らの各請求を一部認容した部分は不当であるから、これを取り消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木 潔 裁判官櫻井敏雄 裁判官河本誠之)

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